感情が先に立つことがあってもいい
私の母は、私に、常に理屈の通った説明を求めてきた気がする。
やると言った片づけができてないとき、「忘れてた」「やりたくなかった」では通らない。できなかった正当な理由が必要。言えないと、「そんなので通ると思ってるの?」と言われ、「ごめんなさい」も受け付けてもらえない。
もう、どうしていいかわからない。
子どもの頃、母に叱られて辛かった記憶は、だいたいこんな感じ。
でも、感情に突き動かされて、何かをしてしまったりしなかったりすることは、普通の人間ならよくあることだと思う。
相手にとっては理不尽だとしても。
一事が万事そうではいけないとも思うけれど、どうにも感情の捌け口が見つからなくて爆発するようなことはあるのが普通じゃないのかな。
常に感情をコントロールして、絶対に暴発しない人なんて、余程そのためにリソースを大量にさけるか、超人というか変人か。少なくとも私はそうじゃないし、母もそうではなかった。
そんな風に育った私は、理由のない感情だけの行動を許容するのがとても苦手だ。
夫が「なんとなく」やる怠慢やイタズラがなかなか許せないし、理由を追求しすぎて怒られたりしている。
でも、私はたぶん、時折、ムスメに感情をぶつけてしまっている。もちろん手をあげたりはしていないけれど、少し語気が荒くなったり、相手をしてあげられなかったり。
ムスメも、いつもだと困ってしまうけれど、時折は、ただ嫌だからという理由で私を拒否することがあっていい。
一時的にお互い悲しくはなるかもしれないけれど、修復不可能な傷ではないから。
今はちょっと気持ちが抑えられないんだな。
少し待ってあげよう。
落ち着いたらちゃんと謝ろう。
一言謝ってくれたら許そう。
お互いにそんな気持ちを忘れないでいたい。
お互いにちょっとずつ勝手で、怠惰で、優しい関係が、本当は居心地いいんだよ。
ムスメにはそんな風に育って欲しいし、そんな風に教えていきたいと思っている。
おでかけの難易度
ムスメ(1歳)のワンオペ育児中なみむろです。
ムスメを連れての外出ができるようになった、というよりも、必要に迫られてでかけるようになったのは、ムスメ生後2ヵ月、酷暑真っ只中でした。
慣れない荷造りも、汗だくになりながらの抱っこも、重たいベビーカーも、とにかくしんどくて、早く首座らないかな、早くB型ベビーカーにならないかな、早くストローでお茶飲んでくれないかな、なんて思ってました。
成長と共におでかけ難易度は下がると信じていたあの頃。
あれから1年近く。
生活パターンに変化が現れるたびにおでかけの難易度が上がっているような気がしてなりません。
荷造りは慣れたし、抱っこ紐もベビーカーもコンパクトなもので大丈夫になりました。
でも。
お昼寝や食事のタイミングを縫ってでかけることのなんと難しいこと……!
数時間おきに食事をして、その合間に1~2回の昼寝。ムスメは授乳のタイミングがズレると概ね昼寝をしないし(そしてグズる)、離乳食は少しでも気に入らないと払い除けたり投げたりなので、外出先で食べさせるのには気を遣います。場所を確保するためには私も何か飲食するのが手っ取り早く、正直出費も痛い。結局、フードコート的な場所が最適なのですが、行きたい場所の近隣にいつもある訳もなく。
抱っこしたら寝てたあの頃、どこでもミルクセットを取り出せばよかったあの頃が、今は恋しい。
何から書けばよいのか
何か文章を書きたい欲求はとても高まっている。
書く場もこうして整えた。
しかし。
何から書けばよいのかわかりません。
日々、子育てに奮闘する中で、これはブログ記事にしたらいいかも!ということは次から次へと起こります。
書くことは山のようにあるのに。
次から次へと新たな事象に直面して、一つ一つのテーマが押し流されていく。
これが子育てってものでした。
1年近くやってきたのに、毎日忘れて、毎日思い出させられています。