感情が先に立つことがあってもいい

私の母は、私に、常に理屈の通った説明を求めてきた気がする。
やると言った片づけができてないとき、「忘れてた」「やりたくなかった」では通らない。できなかった正当な理由が必要。言えないと、「そんなので通ると思ってるの?」と言われ、「ごめんなさい」も受け付けてもらえない。
もう、どうしていいかわからない。
子どもの頃、母に叱られて辛かった記憶は、だいたいこんな感じ。

でも、感情に突き動かされて、何かをしてしまったりしなかったりすることは、普通の人間ならよくあることだと思う。
相手にとっては理不尽だとしても。
一事が万事そうではいけないとも思うけれど、どうにも感情の捌け口が見つからなくて爆発するようなことはあるのが普通じゃないのかな。
常に感情をコントロールして、絶対に暴発しない人なんて、余程そのためにリソースを大量にさけるか、超人というか変人か。少なくとも私はそうじゃないし、母もそうではなかった。

そんな風に育った私は、理由のない感情だけの行動を許容するのがとても苦手だ。
夫が「なんとなく」やる怠慢やイタズラがなかなか許せないし、理由を追求しすぎて怒られたりしている。

でも、私はたぶん、時折、ムスメに感情をぶつけてしまっている。もちろん手をあげたりはしていないけれど、少し語気が荒くなったり、相手をしてあげられなかったり。

ムスメも、いつもだと困ってしまうけれど、時折は、ただ嫌だからという理由で私を拒否することがあっていい。

一時的にお互い悲しくはなるかもしれないけれど、修復不可能な傷ではないから。

今はちょっと気持ちが抑えられないんだな。
少し待ってあげよう。
落ち着いたらちゃんと謝ろう。
一言謝ってくれたら許そう。

お互いにそんな気持ちを忘れないでいたい。
お互いにちょっとずつ勝手で、怠惰で、優しい関係が、本当は居心地いいんだよ。

ムスメにはそんな風に育って欲しいし、そんな風に教えていきたいと思っている。